こんにちは。CuiCuiフォトグラファーの沼山かおりです*
今日はダラダラっと自分の事、息子の事など書いていこうと思っております。
今月3歳の誕生日を迎えた息子。合わせて短髪にしたという見た目の感じもあろうかとは思いますが、
とにかく3歳になった瞬間から、赤ちゃんぽさが消えてしまったのです!!
「ぶはっ」っと笑って豪快に鼻水を出しておりますが、
とにかくイキナリ少年になってしまっていました。
そう、つい先日まで「まだまだおっぱいも大好きだし赤ちゃんみたいだな♡」と思えていたはずなのに、
3歳の誕生日を迎えた日以降、
「あれ、なんかめちゃ少年だな。髪を切ったせいだな気のせい気のせい。」
「いや、でも、赤ちゃんぽさが一昨日も昨日も無かったし、今日も無いな。」
「あれ、もう完全に少年じゃん。」
と、すでに無くしてから気づくという育児のパターン。
そして、その事により、ハタと思ったのです。
「子供と本当に密な育児の期間ってすごく短いのではないか。私はもう折り返し地点位には来ちゃっているのではないか。もうこの時間もそう長くはないかも知れない。」
と。
私の好きな写真家の濱田英明さんがTwitterで、
「親と子が無条件で親密でいられるのは最初の5年、長くても10年。
そのあとは自分の道を歩きはじめる。
たとえ運よく70歳までいきられるとしても、ほんとうの意味で一緒にいられるのはたったそれだけ。
それがどれほど貴重なことか。」
と呟いており、
ガビーン、やっぱりか。となった訳です。
夜、息子の寝顔を眺めながら、
「嗚呼、このまま永遠に子育て真っ只中の次元に彷徨い続けたいな。」と、
来世ももういらないんで、この次元に閉じ込めて下さいと、そう思うのです。
でも、それは私の世迷言で、息子が将来しっかり自分で生きていく為に重要なのがこの密の時期なので、まあでも、ずっとずっと永遠に抱っこしていたいと思う訳です。
なぜか脱いでますが、話を続けます。
で、今になって一つ思う事が、
「自分は仕事をしすぎたのではないか。」
という事ですね。
売れっ子で忙しかったという事ではないです。
私にはいつでも「働き続けないとこわい」という恐怖感に似たものがあり、
それは幼少期から備わった性質だと思うので、
子供が生まれようがなんだろうが兎に角、できるなら仕事はするのですが、
もう少し、赤ちゃんの時期を、
逆に一緒にいすぎて苦痛な位、一緒にいても良かったかもと。
以前も書きましが、私にとってはこの仕事をしてるからこそ穏やかに育児ができているのであり、
もう想像しただけで、専業主婦は私には無理なのですが、
(仕事と育児の両立なんてすごいと言われたりしますが、私からすると専業の方の方がすごいです!)
それでも、たまに、
息子とのんびりと平日の公園なんかで遊んでいると、
「専業主婦で3歳まで自分の手元からの幼稚園ってのも、100%なしでは無かったかな。」
と思ったりするのです。(家計の事は置いといて。)
息子はまだまだ甘えん坊で、毎日相当イチャイチャしていますが、それも本当にそう長くはないのかも知れない。
今でも一生懸命仕事して、子供との時間も大事にしてるつもりだけども、
たまにこれでいいのかと、
失っているかも知れないものを考えて立ち止まってしまったりしますよね。
でもまあ、結局、また0歳育児の頃に戻れたとしても同じ事をしているでしょう。
後悔をしている訳ではなく、だからこそ、より、毎日、毎日を大事に、
一日50回平均でチューしてこう、
抱っこしまくろう、
くっついて寝よう、
たくさん遊ぼう、
ほっぺを吸おう、
と、嫌がられる前にやり尽くしてやる!!とより一層固く決意しただけの事です。
子育てが20年だとして、好きなだけ抱っこできてチューできて、
「お母ちゃんだいしゅき!」とか言ってくれて、
そんな時期ってほんの触りしかないのだな(涙)
私の夢は、将来、
「あんたの子育て本当に幸せだったし、好きなだけ楽しませてもらったから、
あんたからは何もいらない。」
と言える母になる事です。
子供が幼い時期に、思い切り楽しめれば、お互いスッキリ自立できるのかな。
子育てが本当に楽しい、
君が本当に可愛くて、愛しいよ、という気持ちは写真に残せると思うし、
それは私は息子の為というより、自分の為だと思っています。
この新緑の季節の仕事がひと段落したら、2歳の年の息子のアルバムを作るぞ。
いつかチューしてくれなくなったその日に、
酒を飲みながら一人でアルバムめくるのです。
皆様、写真は変わらないですよ。いつまでもそこにいてくれます。
本当撮っておきましょう。んで、アルバムにしましょう!