こんにちは!カメラマンの沼山かおりです*
突然ですが、私はスタバが大好きです。
中学生の頃から通い詰め、
住む場所の最寄りのスタバでは必ずロイヤルカスタマーとして認識されます。
私はひとりで黙々と仕事をしたりしているので、
聞くとはなしに隣の会話が聞こえてきます。
幼稚園ママ同士のママ友抗争や
自分の少し上の40代ママ世代の子供の受験と親の介護と親戚問題や
女子高生の限りなく答えの出ない恋愛話など
そっと聞き耳を立てていたりします。
今日は高校生か大学生、おそらく未成年と思われるカップルが隣に。
ミスチルの地方公演ライブに泊まりで行くのに
お互いの親にどう了承を得るか、もしくは嘘をつくか、
の会議をしていました。
2人に話しかけそうになるのを抑えながら考えていました。
私は子供を産んでから、
「自分の青春」というのは完全に終わったという感じがします。
子供を産むほんの2年位前までは、
恋とかそういうものは私自身のものだったのに、
産んだ途端にそれはもう「我が子の未来のもの」になりました。
結婚したから終わった訳ではなく、
子を産んだら終わってしまったのです。
私にとって完璧な男性「加瀬亮」でさえ
ふーん、という感じ。
今月のGINZA『5人の「彼」と妄想デート」のページを見ても
ぜんぜん、何とも思わない。
もう私は我が子の寝顔以上にキューンとするものを
永遠に失ってしまったのです。
なので若い子の恋愛話なんかを聞くと
もう完全に親目線です。
隣のカップルには
『素直に恋人と行きたいと言え。そして建前上でも宿は別に取るんだ。
後はこっちは細かく追求しないから。何らかの事故があった場合など、
行き先の嘘だけはつくな!』
と心の中で叫びました。
親はね、君たちよ、
何だっていいんだよ。
事故や犯罪に子供達が巻き込まれなければ。
だからそこを念頭に置いといて欲しい。
後はもうライブの後に彼女の方の宿に泊まったって別にいいさ、と。
(女の子の親からしたらそうもいかないですよね。)
と前書きがながくなりましたが、
今日は授乳フォトのお写真を紹介します。
授乳フォト撮影会の写真は、
ママさんは綺麗なワンピースを着たり、花冠やベールを付けたりと
「非日常的で神秘的な」イメージで撮っています。
それはそれで素敵なのですが、
私は個人的には
「日常の、普段の、ふつうの」授乳フォトこそ撮らせてもらいたいと
強く思っています。
私はいつも写真を撮っていて、
その写真の未来の事、
子供達が成長した先の事を考えます。
ママが綺麗に着飾った神秘的な授乳フォト、
それも私は自信をもって撮っていて、
ママさん達はひとりも漏れずみんな本当に綺麗です。
でもその写真は非日常なので、
未来に子供達が見た時にどう思うか感じるか、
は分からないというか、責任が持てないなと思っている部分もあります。
男の子なんかはギョっとするかもなって思う。
本当にいい写真は時代を重ねてもいいもののままでいてくれるのではないかな、と。
つまり流行ではなく、
私たちカメラマン側や時代が「もらない」事が重要なんじゃないかと思うのです。
私の家族写真のテーマ「装飾を極力外す」、それです。
授乳フォトは「ママのもの」という側面も大きいので
綺麗に神秘的に撮るのも勿論いい。
でも私が考えるのは、この子達が大きくなって見ても
カッコいい(どうしても男の子の親目線ですね)事や
記憶のなかった頃の情景が良くわかる事
それをいつも考えているし、お客様にも伝えたいです。
「いつもどんな感じで授乳してますか?いつもみたいにお願いします〜!」
と言うと、大抵みなさん足を崩したり寝転がったりと
フッと気を抜いてくれます。
片付き過ぎてない部屋、
その時のインテリアと部屋の光と
だらけた授乳姿勢と我が子を見下ろすお母さんの表情、
それを残したいです。
今私たちにとっての「いつもの」授乳は、
多分すぐに思い出すにもぼやけていってしまうものになるのだと、
(過酷な現実!)
だからこそ、お家でのいつもの授乳風景をぜひ残して欲しいです。
(今、福岡伸一の「動的平衡」という本を読んでいますが、
人間の脳は絶え間なく代謝を繰り返しており、
「記憶」というのはその絶え間ない代謝の中でそのまま残り得るはずがないらしいですよ。
私たちが思い出しているつもりの「記憶」は分子の「淀み」でしかないのですって。)
私がお邪魔する時はおそらく
洗濯物などは寝室にぶん投げて戸を閉めたりして目隠しして下さってると思うのですが、
この授乳フォト撮影の時はそっとその戸を開けて、
洗濯物に埋まりながら授乳するいつもの姿を撮らせて下さい。
私はそのふつうの光景を
どういう構図で、どういう光で撮れば
お客様のずっと先の未来にもいい写真として残るかを日々考えながら
沢山の最高の授乳フォトを撮れる様に頑張ります。