事務の高木さんとぬまやまよもやま話、原点の光について。

こんにちは。CuiCui Photo Works 沼山かおりです。

本日はお知らせと『ぬまやまよもやま話』をさせて頂こうかと思います。

 


事務の高木さんが加わります!


Cui Cuiは2013年の4月に始動したので4月は私にとって学生さんと一緒の新学期であります。

その、来月4月からCuiCuiに新メンバーが加わります。

主にメールの返信や請求書の作成、アルバムなど商品の検品から発送など事務を担当してくれる高木さんです!

皆様、『事務の高木さん』と呼んで下さい。

今日はその高木さんについて書かせて頂きたいと思います。

(これは高木さん家の猫のおはぎ。)

そもそもなぜ事務仕事を外注しようかと思ったかですが、

単純に色々と一人では回らなくなってきた為であります。

私は経営にはあまり興味がないので、他のフォトグラファーさんを抱えて規模を大きくするという様な事は今のところ考えておりません。

ですが、ホームページやシステム関連の事はりえちゃんという方にずっとお願いしていますし、

サポートしてくれるメンバーは実はおります。

今回、事務仕事を高木さんにお願いするにあたって、

沼山の代理っぽさとか、システマチックな感じでやって欲しくなかったのですよね。

それは、高木さんがキャラが立ちまくっている人物だから。

 

お客様がメールでCuiCuiに問い合わせ頂いた時に、

高木さんという実在する人物との会話を楽しんでもらいたいと、

高木さんを人格のないただの事務の人にするのは勿体なさすぎて、

なのでちょっと紹介させて下さいね。

 

そもそも高木さんと私は友人であります。

お互い色々な転居遍歴を経て、現在はチャリで5分位の場所に住んでいます。

うちの息子たちの洋服は、ほぼ高木さんちのおさがりで構成されています。

高木さんと私の出会いは東日本大震災が起こった年あたり。

私はまだ独身で子供もおらず、とある場所でアルバイトをはじめました。

そこでお局的な高橋さんというマダムに、

「本当はもう一人女性のスタッフがいるのだけど、

今産休中なのよね。

何だか不思議な雰囲気の子よ。UA(歌手の)みたいな!」

と言われました。

高橋さんが好意をもっている事はハッキリ察せられたし、

不思議な雰囲気をUAと表現したのは、今となっても的確だったと思う。

やがて第一子を出産し、復帰してきた高木さんと出会い、

お友達をさせてもらって10年が過ぎました。

 

高木さんは私より少し年上で、子供が4人おります。

高木さんからは「子供が大好き〜!!」という様なハイテンションな雰囲気は微塵も感じられず、

妊娠の度に毎度本人が一番晴天の霹靂という様相で、

毎回壮絶な妊娠悪阻に襲われて、出産も生死の境を彷徨っては帰還してくる、

なんと言うか、

私から見ると何者かに定められて子を授かっている様な、

私はスピリチュアルには別に関心が強い方ではありませんが、

とにかく高木さんの人生には宇宙的な力を感じざるを得ない事が多すぎるのです。

 

高木さんが若い頃、今の旦那さんと電車に乗ってて、

その時今の旦那さん作の個性的な指輪をしていたらしいのですよね。

その電車の中で、「その指輪かっこいいわね!」ととある女性に声をかけられた事がきっかけで、

とある企画に参加する事になり渡米。

ここだけで、皆様は全然ついてこれないと思うのですが、

とあるクリエイティブな企画を抱えてるとあるクリエイティブな女性が

電車で近くにいたというだけで

この子をこの企画に乗せてみようかしらという気にさせてしまう、

高木さんはそんな『生』を纏っている人物です。

見た目とか話し方とか表現力とかそういうの全部だから『生』って表現してみました。

 

高木さんのお父さんは、リリーフランキーの『東京タワー』の様な

時々、オトンな人物でありました。

渡米から帰国後、高木さんはお父さんと再会するも

レストランでハンバーグを頬に運んだ様子に違和感を感じ

脳外科に連れて行ったそうです。

原因不明と病院をたらい回しにされ

ようやく1年してついた診断名は脊髄小脳変性症(小脳が徐々に消滅、意識はありながらも身体の機能が失われていく難病)でした。

時を同じくしてお母様も膵臓癌を発症し、余命8ヶ月の宣告を受けます。

2006年から2010年にかけ両親の介護生活が始まります。

高木さんは一人っこであります。

「おまえに看取ってほしい」と娘の所へ帰ってくる父を高木さんは

『なれのはて』と表現しましたが、

離婚していた母の承諾も半ばに引き取ったのです。

 

私が何で高木さんの半生を勝手にベラベラと書き綴っているのかですが、

彼女は『表現者』でもあるので、これはある程度公開されたプロフィールでもあります。

でもこれを書いた後、公開する前に高木さんには読んでもらって確認してもらいます。

 

高木さんには重いものが何度となくのしかかっている様に私には見えます。

だからなのかな、高木さんには個人の得を抱え込む様なところが全くありません。

いつも私達の事を気にかけてくれる。

私たち友人をいつでも家に招き入れ、友人同士を繋げ、

本当は私たちが助けたいと思っているのに、いつも何故か助けられている。

きっと彼女の友人は皆んなそう思ってる。

「助けたいと思っているのにまた私のが助けられてる」って。

 

話している時も大きく破顔したり大きくリアクションしたりする事がなく

飄々としているのだけど、

大きい愛を感じる。

 

彼女が、亡くなる前の、花火を見ていてこっちにふり返ったお母さんを撮った写真があって、それがすごく好きです。

「カンヌのさ、『ある視点賞』ってあるじゃない、あれあなたにあげるよ」

お母さんは、高木さんにたびたび賞をくれたそうです。

 


ぬまやまよもやま話、私の原点の光の話


高木さんの半生ばっかり晒してアレなので、

ぬまやまよもやま話と称して、私の事も書いてみようかなと思います。

自分語りみたいで気持ち悪いし、私のサービスに全く不要の話だからここでは書いてこなかったのですが、

まあ『写真』に絡めて書いてみようかなと。

 

私の両親は、私が小学校1年生になったばかりの頃に離婚しています。

父は消防士で、どっからがそうなのかラインが分からないけれど、

まあ確実にドメスティックバイオレンスでした。

私には2歳下の弟がいますが、母は弟が生まれる前には離婚を決意していた様で、

母子家庭になった時に一人っ子では寂しいかもと2人目を作る決意をしました。

弟は今では有田哲平をヤクザにした様なおじさんになっておりますが、

私には可愛い可愛い弟なので、母がもう一人産んでくれて良かった。

 

日常的に夫の暴力があった場合、離婚を決意しつつも、

ここというタイミングって結構難しいのかもしれない。

でも、きっかけになったとある日があるのですよね。

 

私は東京の国分寺という場所に住んでいたのですが、

父の転勤で小学校に上がるタイミングで千葉に引っ越していたのです。

当時は多分、建ったばかりだったろう大きな集合マンションに住み始めました。

マンションにはよくあるつくりだと思うのですが、

玄関入ってすぐの横に一部屋あり、そこが子供部屋になっていました。

廊下の先にリビングルームがあります。

 

ある日弟と2段ベッドで寝ていたら、ガチャーンという皿が割れるような音で目が覚めました。

確か私は上に寝ていて、そおっと梯子を降りて子供部屋のドアから廊下を覗きます。

すると父と母が喧嘩する声が聞こえてきました。

その時、リビングに続くドアが少し開いていて、

そこから暗い廊下にリビングの明かりが漏れて伸びていたのですよね。

私はその光をすごく鮮明に覚えていて、

それが私の『原点の光』というか、

写真的な描写の根源になっている気がします。

 

私はベッドに戻り布団をかぶって、父か母の怒鳴り声を聞いていました。

少しすると、廊下を誰かが走り玄関のドアから出ていく音がしました。

きっとお母さんだろうと。

その時、当時『とんねるずの皆さんのおかげです』という番組で

松任谷由実の『リフレインが叫んでる』が使われているコントがあって、その

 

どうしてどうして僕たちは

出逢ってしまったのだろう

 

という歌詞が頭の中で流れていたのをよく覚えています。

1年生になったばかりですよ私。

私は多分、松任谷由実の歌詞というか男女の本質を小1で分かってたんだと思う(笑)

 

私はわざと今起きたという風に目を擦る演技をして、父に

「お母さんは?」と聞きました。

すると父は、

「おばあちゃんが具合が悪くなっておばあちゃん家に行ったよ。」

とか何とか言いました。

そんな父を心の中で冷ややかに思っていた私。

だから、私がこんなだったから、

私は、「子供だからわかりゃしない」とは決して思いません。

子供は全部分かっている。

 

その数日後、祖母の近所の八百屋さんがトラックを出してくれて、

母と祖母が夜中にそっと私達を連れ出して夜逃げ成功。

家庭裁判所での協議の末、離婚が成立しました。

あの日、母は流血し、まともに靴も履かないまま最寄りの駅で電車賃を借りて祖母の家まで逃げたとの事でした。

 

まあとにかく、『暗い廊下に漏れ出たリビングの光』、

これこそ私の写真的な光なのですよね。

だから私の写真はちょっと暗いと思う。

もう一つは、

その後私が小学生のうちは母子家庭でやっていた我が家ですが、

母が夜に、私たち子供が寝た後に、一人で『ボンバーマン』をやるわけですよ。

明かりを消した暗い部屋とテレビの青っぽい光、

そこに母の背中。

負けて、「くそっ!!!」とか言って母がコントローラーを軽く投げたりする訳です。

その光も強烈に印象に残っています。

どちらにせよめちゃくちゃ暗い話やないかと皆さんは思われますよね。

でも、私としては何とも暗くも重くもないのです。

私は別の人生を知らないから、これがスタンダードです。

 

私は人生で沢山友人が出来たけれど、

それだけ途中で失ってもきました。

女は特に、ステージが変わると共通の話題を無くし友達でいる事が難しくなったりしますよね。

高木さんとは物理的に離れた時期もあったのに

こんなにずっと友人関係が続いたのは、

高木さんの面倒見の良さが大きいけど、

どことなくお互いに感じる『痛み』の様な、

『静けさ』『仄暗さ』の様な、

どう表現していいか分かりませんが

決して、『お日様をスクスク浴びてまっすぐ育ったひまわり』

じゃない様なお互いの空気感が心地いいから、

という様な理由もあるんじゃないかなと思ってます。勝手に。

 

4月から、基本のお問い合わせはそんな高木さんが対応致します。

私の主観の高木さんを書いてしまいましたが、

皆様が、皆様の高木さんと出会って頂けたら嬉しいです。

友人と仕事をする際に、トラブルによる不仲が懸念されたりしますが、

不仲の予感が、お互いにね、少しでも出てきましたら

私は高木さんを友人として失いたくないので、

また自分に事務仕事を戻すかもしれません(笑)

でも、私も変わらずメールは全て見ますし、

写真の納品は私からしますし、私からするお返事も引き続きあります。

アルバムの検品も私もします。

慣れるまでちょっとご迷惑をおかけする事もあると思いますが、

私たちを暖かく見守って頂ければと思います。

どうぞ宜しくお願いします*

 

また、母子家庭育ちという話のついでに、

次年度(4月)から母子家庭対象のサービスも考えております。

『退院の日プラン』同様、私一人で撮影をこなすのでできる件数は極僅かとなりますが、

経済的な事情などで七五三などお子様の写真を諦めようかなという方に利用して頂ければと思っています。

でもサービス化する上で諸々とても難しいので、

一先ず5月にサンプルの撮影をさせて頂いてからじっくり考えます。

私のお客様でも何組かは「実は離婚しまして。」と連絡を頂いたりします。

皆さん、podcastの番組『over the sun 』を聴いて、

共に互助会精神でやっていけたらと思います。

私が、母子家庭対象のサービスを実現できるとして、

それは皆様が正規の値段で私に仕事を依頼してくれて、

私が先ず生活を守れてるからこそできるのであり、

本当、皆様が互助会の会員です。

 

4月以降にまたちょっとホームページの不具合やプランなどを整えますね。

プロフィール欄には高木さんも登場予定です!

どうぞ宜しくお願いします*